ついに、観てきました。『チェンソーマン レゼ篇』、しかも4DXで!
原作ファンなら誰もが待ち望んだ「レゼ篇」。あの切なくて美しいストーリーが、映画館のスクリーンと4DXでどう描かれるのか…期待で胸がいっぱいでしたが、観終わった今、その期待を遥かに超える「体験」だったと断言できます。
今回は、4DX版の率直なインプレッションと、劇中で心に深く刻まれた、レゼの「あの歌」について。私なりに「どういうことなんだろう?」と気になって調べたことを、レポートとしてまとめてみます。
(※ここから先、映画と原作のネタバレを含みます。まだ観ていない方はご注意くださいね!)
「静」と「動」のコントラストが凄い。4DXで“浴びる”レゼ篇
4DXって、ずっと激しく揺れてるイメージでした。でも、この映画は「静けさ」の使い方がすごく上手だったんです。
前半:息をのむ、ふたりの「日常」
物語の前半、デンジとレゼが過ごす、ほんの束の間の日常。
特に、夜の学校に忍び込むシーン。4DXの動きが(この時はまだ)穏やかだったこともあって、とにかく映像の美しさに引き込まれました。
教室に差し込む月明かり、誰もいない廊下、そして二人きりのプール。
水面に映る光とレゼの姿は、本当に「えっちで綺麗」でした(この言葉、最高にわかります)。甘酸っぱくて、どこか危うい。そんな空気に満ていました。
緩急の「動」と、心に刺さる「歌」
でも、その穏やかな時間は、突然終わりを告げます。
デンジの心臓を狙い、レゼを利用しようとした「台風の悪魔」と契約した男 。
レゼはその男に狙われますが、あっさりと返り討ちにします。そして、彼を絞め殺しながら、あの歌を口ずさむんです 。なぜかとても落ち着いていて…。デンジといた時の表情とはまったく違う、冷たい横顔。そのギャップが強烈でした。
クライマックス:美しすぎる爆発と花火
そして、花火大会のシーン。
夜空に咲く大輪の花火の美しさ。それを見上げるふたりの、一瞬の平穏。
そこから一転、レゼの正体が明らかになり、物語は息つく暇もないアクションシーンへ。ここで4DXが本領発揮! 「ボム」の爆発の衝撃、戦闘のスピード感、飛び散る破片。座席からの振動とエフェクトが、デンジの絶望も、レゼの圧倒的な強さも、全部リアルに伝えてきました。
“ジェーンは教会で眠った”
さて。この映画で、私が(アクションと同じくらい)印象的だったのが、やっぱりレゼの「あの歌」です。
1. 歌詞(原文と日本語訳)
ロシア語で歌われるメロディ。「これ、何か特別な意味があるんだろうな…」と気になって、映画のあと原作コミックを引っ張り出して、歌詞の部分をAI翻訳にかけてみたんです。。
День моего свидания с Джейн
Все готово
Утром мы пойдем вместе в церковть
Мы будем пить кофе и есть омлеты в кафе
После того как мы прогуляемся в парке
Мы пойдем в аквариум и увидим любимых Джейн, дельфинов и пингвинов
После обеда мы отдохнем
Итак, что мы сделали утром
Мы будем говорить об этом пока не вспомним
Мы не вспомним
И ночью мы будем спать в церкви
そして、これを翻訳したものがこちらです。
ジェーンとのデートの日
すべて準備OK
朝、私たちは一緒に教会へ行く
カフェでコーヒーを飲んでオムレツを食べる
公園を散歩した後
水族館に行ってジェーンの大好きなイルカとペンギンを見る
昼食の後、私たちは休憩する
それで、朝に何をしたっけ
私たちは思い出すまでそれについて話す
私たちは思い出せない
そして夜、私たちは教会で眠る
2. 歌の背景(元ネタは?)
この歌が実在するロシアの民謡や詩なのか調べてみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。どうやら、作者の藤本タツキ先生による完全な創作のようです。そう考えると、歌詞の一言一句に、深い意味が隠されている気がしませんか?
3. 考察:レゼの生い立ちと歌
じゃあ、レゼはいつ、どこでこの歌を? もちろん作中では語られませんが、彼女のバックグラウンド(ソ連の研究所で育ったこと)を考えると、やっぱり「研究所」なんじゃないかって 。 親も知らず、集められた子供たち。 そこで、誰か「お姉さん」みたいな存在が、ツラい日々を送るレゼたちに、子守唄みたいに歌ってあげていたのかも… 。
なぜ、あのシーンで歌う? 「平凡なデート」の歌なのに、彼女が口ずさむのは「冷徹な暗殺」の真っ最中。 これは、高ぶる気持ちを抑えるための、おまじないみたいなものだったのかもしれません 。 でも、きっとそれだけじゃない。
彼女にとってこの歌は、過酷な現実から逃避するための、唯一の「おまじない」だったのかもしれません。
4. 歌と「フツウ」への憧れ
歌詞に出てくる「カフェでオムレツ」「公園をお散歩」「水族館」。
これって、レゼが心の底から願ってた「フツウの日常」そのものですよね。
デンジに「田舎のネズミ派」って言ったのも、彼女のその願いと繋がってる。
あの時、デンジは「やっぱ都会のネズミかな!」って答えるんだけど、レゼは(ちょっとがっかりしたかもしれないけど)そのあと少し考えて、彼を花火大会に誘うのよね。
きっとレゼは、デンジが特定の「夢」を語ったから惹かれたんじゃなくて、彼自身が(兵器の自分とは正反対の)「平凡な欲望」に素直で、不器用だけど「日常」を生きている存在そのものだったから、惹かれたんじゃないかな。
5. 「思い出せない」記憶と、あの「目の痙攣」
歌の後半は、「(朝に何をしたか)思い出せない」っていう、ちょっと不穏なフレーズで終わります。
これって、研究所での過酷な日々の中で、大切な記憶や、もともとの自分らしさを奪われちゃったことの表れなのかも。
そういえば、劇中でレゼが敵に「目をくり抜いて」と脅された時、彼女の目がピクッと痙攣するシーンがありました。
あれは、研究所でのツラい記憶…たとえば、誰かの悲しい最期を目撃した記憶が、フラッシュバックしたのかもしれません。
もしかしたら、「ジェーン」っていうのは、レゼ本人じゃなくて、その「お姉さん」のことだったりして 。
そう考えると、「ジェーンは教会で眠った(=死んでしまった)」という歌は、レゼの忘れられない記憶そのもの。
彼女がデンジと夢見た「デート」は、その「ジェーン」が叶えられなかった夢を、もう一度追いかけようとしていたのかも…なんて、深読みしたくなります。
彼女が本当に欲しかったもの
デンジが「カフェで待ってる」と伝えた、あの待ち合わせ場所。
レゼがそこへ必死に向かったのは、彼女が唯一の「夢」として覚えていた、あの歌の歌詞(カフェでコーヒーを飲んでオムレツを食べる)を、実現したかったからかもしれません。
でも、その夢は、あと一歩のところで叶わなかった。
劇場版のエンディングテーマ、米津玄師さんと宇田ヒカルさんによる「JANE DOE」。
「JANE DOE(ジェーン・ドウ)」とは、「身元不明の女性」を意味する言葉です。
名前も過去も奪われて、ただ「フツウの夢」が詰まった歌だけを抱えていたレゼ 。彼女の正体は、本当に「ジェーン・ドウ」だったのかもしれません。
『チェンソーマン レゼ篇』は、4DXで体感する最高のアクションムービーであると同時に、レゼという一人の女の子の切なさを、映像と「歌」で深く心に刻みつける、そんな忘れられない作品でした。
【余談】エヴァンゲリオンとヒロアカ?
エヴァンゲリオンを思い出すシーンがいくつかありましたね。
- レゼが爆弾の悪魔になる時の首の爆破、エヴァQでカオル君のシーン。
- レゼとデンジの終盤の海岸のシーン、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のシンジとアスカのシーン。
- レゼの終盤の駅のホームのシーン、エヴァも最後は駅のホームでしたね。
それに、レゼは爆轟勝己(僕のヒーローアカデミア)みたいでしたね。
原作紹介:『レゼ篇』はここから読める!
今回の映画で描かれた「レゼ篇」は、原作コミックスの第39話から第52話にあたります。このエピソードは、5巻の途中から6巻の終わりまで収録されています。(5巻は第35話〜第43話収録、6巻は第44話〜第52話収録)映画でハマった方は、ぜひ原作もチェックしてみてください!




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