

今回は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』という巨大な物語を、「音楽」という視点から読み解いていきたいと思います。なぜ、最新のアニメーションに懐かしい昭和の歌謡曲が流れるのか。宇多田ヒカルさんの歌詞はどのようにシンジ君たちの心に寄り添ってきたのか。四半世紀にわたる旅路を彩った旋律には、庵野監督の強烈なメッセージが込められていました。ご一緒に、その深淵を覗いてみませんか?
音で紐解くヱヴァンゲリヲン新劇場版:
宇多田ヒカルと昭和歌謡が交差する場所
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ。それは、90年代に社会現象を巻き起こした物語を「再構築(REBUILD)」する壮大な試みでした。映像の進化もさることながら、この新シリーズを語る上で欠かせないのが「音楽」の存在です。
宇多田ヒカルさんが紡ぐ現代的で洗練された主題歌と、劇中で突如として流れるノスタルジックな昭和歌謡。一見、相反するように思えるこれらの楽曲は、実は物語の深層、そしてシンジたちの心の機微と密接にリンクしています。今回は、全4部作を通じて変容していく「音の世界」を深堀りしていきましょう。
作品概要
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗る少年少女たちと、謎の生命体「使徒」との戦いを描いたSFアニメーション映画シリーズです。1995年のテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』をベースにしつつも、新たな設定やキャラクター、そして全く異なる結末へと至る「リビルド」作品として、2007年から2021年にかけて全4部作が公開されました。
- 原作・脚本・総監督:庵野秀明
- 制作:スタジオカラー
- 配給:東宝、東映、カラー
- シリーズ構成:『序』(1.0)、『破』(2.0)、『Q』(3.0)、『シン』(3.0+1.0)
1. 『序』:反復と予感の始まり
物語の幕開けとなる『序』は、テレビシリーズの面影を強く残しながらも、決定的な違いを「音」で示しました。それは、宇多田ヒカルさんという新たな「声」の参加です。
「もしも願い一つだけ叶うなら」という歌詞は、運命に翻弄されるシンジの切実な祈りのようです。テレビ版の『残酷な天使のテーゼ』が神話的な視点だったのに対し、この曲はよりパーソナルな少年の内面に寄り添い、新シリーズが「個人の願い」に焦点を当てることを示唆しました。
テレビ版エンディングでおなじみのジャズ・スタンダードをリマスタリング。過去作への敬意と、それを塗り替えていくという意思表示のような一曲です。
2. 『破』:日常の崩壊と「毒」としての童謡
シリーズの転換点となる『破』では、庵野監督特有の「異化効果」――映像と音楽のギャップによる心理的摩擦――が極限まで高められました。美しい旋律が、逆に恐怖を煽る演出として機能しています。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の主題歌として、宇多田ヒカルの前作テーマ曲をアコースティック調に再構築した楽曲です。原曲の「世界への願い」に対し、より人間臭く、身近で切実な祈りとして響く点が特徴です。物語の展開と深くリンクしており、映画公開初日に配信限定シングルとして発表されました
学校やキャンプで歌われる友情の歌が、エヴァ3号機(アスカ搭乗)が無惨に破壊されるシーンで流れます。「友達でいよう」という無垢な歌詞と、画面上の暴力的な破壊行為。この強烈なコントラストは、日常が音を立てて崩れ去る絶望感を観客に植え付けました。
ザ・ピーナッツが1962年に発表した楽曲で、都会的な昭和モダンを象徴するヒット曲です。劇中ではシンジがラジカセでこの曲を流しています。あえて古い流行歌を聴く行為は、他者との関わりを避け、自分の殻や過去の断片に閉じこもるシンジの孤独感や閉塞感を逆説的に強調する演出として機能しています
『破』において、ミサトと加持がかつての恋人同士としての距離を測りかねながら会話する居酒屋。その店内で流れるピンキーとキラーズの「恋の季節」(1968)は、哀愁を帯びたボサノヴァ・ロックの旋律が、大人の男女の「もはや戻れない熱い季節」を暗示しています。
初号機が覚醒し、ニア・サードインパクトを引き起こす場面で使用。シンジの「綾波を助けたい」という純粋な願い(エゴ)が、結果として世界を滅ぼすトリガーとなる皮肉を、教科書でおなじみの合唱曲が神々しく、そして残酷に彩ります。
冒頭、新キャラクターのマリが口ずさむ一節。「しあわせは歩いてこない」という前向きな歌詞は、彼女がエヴァの呪縛や物語の閉塞感の外側にいる「異分子」であることを高らかに宣言しています。
3. 『Q』:孤絶の中の静寂と鎮魂
14年の時が過ぎ、世界が変貌した『Q』。ここでは、取り残されたシンジの孤独と、失われた時間への鎮魂歌(レクイエム)が響き渡ります。
活動休止中だった宇多田さんが本作のために書き下ろした楽曲。映画本編では語りきれない、カヲルとシンジの間にあったかもしれない時間や、喪失の痛みを優しく包み込むピアノの旋律は、救いのない展開の中で唯一の救済となりました。
天地真理さんのヒット曲。宇宙空間での孤独な作戦中、マリが口ずさみます。「ひとりじゃない」という言葉は、孤立無援のヴィレ、そして後に回収されるシンジへの、マリなりの歪んだ、しかし力強い連帯のメッセージとも取れます。
ヴンダーを襲撃するMark.09を迎撃する際に歌っています。冒頭の「的を狙えば、外さないよーん」の部分だけではありますが、元ネタはこちらです。
4. 『シン』:現実への回帰と卒業
完結編『シン・エヴァ』では、昭和歌謡、特撮音楽、そして宇多田ヒカルの新曲が総動員され、物語を「現実」へと着地させます。
疾走感のあるビートと「初めてのルーブル」という具体的な歌詞。それはもう、エヴァという虚構の中に留まるのではなく、現実世界での愛や生活を予感させます。MVの監督を庵野氏自身が務めたことも、作品との一体感を象徴しています。
『シン・エヴァ』では第3村のラジオ放送やマリの歌として登場します。人類を強制的に統合する補完計画に対し、「あなたと二人」という最小単位の幸福を肯定する重要な対抗軸として機能しており、他者と関わりながら地に足をつけて生きる人間の尊さを象徴しています。
松任谷由実さんが映画『さよならジュピター』のために書いた曲。マイナス宇宙で物語が書き換えられる瞬間、この曲が流れることで、SFとしての「終わりの美学」と、25年間エヴァを見守り続けたファンへの「卒業証書」のような感動を与えました。
冒頭のパリ市街戦にて。水前寺清子さんの曲を歌うマリは、どんなに世界が荒廃しても、泥臭く「歩み続ける」人間の強さを象徴しています。これは、テクノロジーや神の力に頼るネルフに対する、人間賛歌のアンチテーゼでもあります。
1977年の東宝特撮映画『惑星大戦争』の劇伴(作曲:津島利章)で、『シン・エヴァ』ではヤマト作戦におけるヴンダーとネルフ戦艦群の激突シーンで使用されました。重厚なサウンドがデジタルな映像に昭和特撮特有の「実体感」と「熱量」を吹き込み、作品を理屈抜きのエンターテインメントへと回帰させる役割を果たしています。

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宇多田ヒカルさんの歴代主題歌はもちろん、マリが口ずさんだ昭和歌謡や、第3村のラジオから流れたあの名曲までを網羅しています。物語の記憶を呼び覚ます「音」の旅路を、ぜひ記事と合わせてお楽しみください。
考察:なぜ「昭和歌謡」だったのか?
『シン・エヴァ』の第3村では、『世界は二人のために』や『人生を語らず』、『人生の並木路』といった昭和の名曲がラジオから流れます。なぜ、未来の世界で過去の歌なのか。
一つの解釈として、これらの楽曲が持つ「地に足のついた生活感」が挙げられます。高度経済成長期の日本が持っていた「今日を生き、明日を作る」という泥臭いエネルギー。それは、エヴァや使徒といった高次元の争い(虚構)とは対極にある、人間本来の営み(現実)です。
トウジやケンスケたちが第3村で築いた生活は、まさにこの昭和歌謡的な世界観そのものでした。14歳のまま時が止まっていたシンジは、この「古くて新しい人間らしさ」に触れることで、エヴァの呪縛から解き放たれ、大人になる決意を固めたのではないでしょうか。
そして、常に昭和歌謡を口ずさんでいたマリ。彼女だけが最初から「現実の強さ」を知っていた存在であり、だからこそシンジを「虚構(エヴァ)」の外側へと導く案内人になり得たのだと考えられます。



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